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JR大村駅から徒歩5分。等間隔に並ぶ街路樹に季節を感じながら片側2車線の幹線道路を歩いていくと1軒の居酒屋があります。「うぐいす家」。和モダンな外観と木をふんだんに使った暖かみのある空間には老若男女さまざまな人が足を運び、自慢の焼き鳥の味に舌鼓を打っています。
創業は昭和28年という「うぐいす家」。松永振一郎さん・奈美さんご夫婦と奈美さんのお母様の3人で切り盛りしている老舗居酒屋で、昨年(2023年)70周年を迎えました。
「昔の写真、見てみます?」と出してくださったのはオリジナルのフォトブック。再開発による移転を惜しむプロカメラマンの友人が制作した本の中には、昔懐かしい焼き鳥屋の日常とカウンターからほほ笑む奈美さんの笑顔がちりばめられています。そんなフォトブックを傍らに「うぐいす家」のファミリーヒストリーを伺いました。
奈美さん:元々、私の祖父は台湾でお坊さんをやっていたんです。戦後、夫婦で台湾から引き揚げてきた後、親戚を頼って居を構えたのが大村。戦後復興のさなか、祖父はいろいろな商売に手を出したんですが悉く失敗。そんな時、専業主婦だった祖母のひと声で焼き鳥屋をやることになったそうです。
奈美さん:「自衛隊の駐屯地ができて隊員さんや関連の仕事をする人たちで人口が増えるだろうから」と覚悟を決めて提案したそうです。まだアーケードがない時代の上駅通り商店街の角に店を構えて「うぐいす家」はスタートしました。
奈美さん:そうですね・・・。祖父母がやっている頃は品数も少なくて、焼き鳥が4種類に玉子焼き、おにぎり、味のりだったかな。昭和30~40年代だったのでお客さんは肉体労働者が多かった。とにかく質より量で1人焼き鳥10本以上食べるのが普通。その脇で年配の常連さんが味のりで日本酒をちびちびやっていた姿が子ども心に残っています。
奈美さん:あとはよく手伝わされていました(笑)。大人も子どもも、家族全員で店のできることをやっていましたね。
奈美さん:最初は串用の竹を揃えるくらい。それが次第に鶏肉を串に刺すようになり、包丁で食材を切るようになり・・・。まあ、自分が用意した串が祖母や母の手で焼きあがってくのが楽しかったんでしょうね。料理というものが身近にあることでごく自然と身に着いていったように思います。
奈美さん:子どもの頃は「料理人になる」とか「後を継ぐ」ということは考えてなかった。でも、20代後半になったころ、父の糖尿病が進行してしまって。当時は常連さんに支えられて細々とやっている状況だったので、母と祖母では大変だろうと家業を手伝うことを決めました。
奈美さん:それからあっという間に30年。再開発で今の場所に移転したのが2012年だから、時間が経つのは早いものです。
奈美さん:はい。夕方から20時くらいまで手伝ってくれています。ウチは昔からの常連さんも多いので「お母さん、元気だった?」って会いに来てくださる方もいらっしゃるんですよ。そういう光景を見ると、まちの居酒屋として長く地域の方に愛していただいているんだなぁと改めて感じますね。
「アーケード側に持ち帰り専門の小窓があって、小学生・中学生がお小遣い持って『1本ください』と買いに来ていた。今、来てくださっているお客様の中には『大人になってうぐいす家の焼き鳥を10本食べるのが夢だった』という方もいらっしゃるんですよ」
昭和・平成・令和と大村の街とともに歩んできたうぐいす家。現在の店舗にも持ち帰り用の小窓が設けられており昔の名残を感じます。奈美さんが守り続けているタレの焼き鳥をほおばると、自分もこのまちの一員になったような気がしました。
取材・執筆/Komori Daigo
長崎県大村市本町397−1 ( Google MAP )
営業時間:
18:00~23:00(火曜定休)
TEL: 0957-53-5837