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暮しを楽しむの手帖
力寿司#2 寿司を身近なものとして食べていただきたい…。諫早の街とともに歩んできた昭和46年創業の大衆寿司屋

三方を海に囲まれた日本本土最西端に位置し、全国屈指の漁獲量を誇る長崎県。五島灘、有明海、大村湾といった豊かな漁場からはアジやブリ、タイなど年間を通じて250種を超える魚種が水揚げされており、四季折々の旬な魚を数多く味わうことができます。

そんな水産県・長崎の中央に位置する諫早市で、創業から半世紀を超えて営業を続けているのが大衆寿司屋「力寿司」。この道30年の2代目・黒田昭さんが腕をふるう丁寧な料理の数々は「リーズナブルなのに美味しい」と高い評価を受けています。

諫早出身の芥川賞作家、故・野呂邦暢さんも愛した大衆の味。お得なランチタイム、おひとりから大人数の宴会まで対応している夜営業のほか、テイクアウトや出前配達(3,000円~)にも対応するなど、なくてはならない“まちの寿司屋”として支持されている力寿司のルーツを探ります。

屋号の由来は曾祖父・力松さん。父親代わりに育ててもらった先代の感謝の想い

ではまず、力寿司の開業当時のことを伺っていきたいと思います。

黒田さん:力寿司は先代の父が昭和46年にこの場所で創業しました。父は市内の京正という寿司屋で働いていたのですが、商売人だった私の曾祖母が中心になって自分たちの店をやろうと決めたそうです。父はうどん屋にするか寿司屋にするか、結構悩んだようで最終的には大衆向けの寿司屋として独立を果たしました。

「力寿司」という屋号の由来は何だったのでしょうか。

黒田さん:実は曾祖父の名前なんです。というのも私の祖父は戦争で亡くなっているので、先代は父親の顔を知らない子どもだったんですね。そんな先代を父親代わりに面倒を見てくれたのが曾祖父の力松さん。店の名前を決める際に「力松じいちゃんには世話になっているから」と名前を一文字いただいて「力寿司」という屋号になったそうです。

※Instagramより
素敵なお話ですね…。ところで、力寿司がオープンしたのは黒田さんが1~2歳くらいの頃。子ども時代の印象的な思い出があれば教えてください。

黒田さん:店の2階に住んでいたので友達が遊びに来ると、両親が「寿司でも食ってけ」と良くふるまっていましたね。中学生の頃には学校の弁当として巻きずしを持たされることもあったんですよ。でも、意外とそれがクラスメイトに評判で「サラダ巻きとおかずと交換してくれ」なんて言われて。すごく豪勢な昼飯になったのを覚えています。

父親としての先代はどんな人でしたか?

黒田さん:いやぁ、私が長男だというのもあったんでしょうけど、本当に厳しくて。「調理場には入ってくるな」と言われたり、包丁の柄で叩かれたり…。職人気質で昭和の男。力強い目でギロッと見られると子ども心に怖かった。ただ、私が大阪へ修業に出て戻ってくるとだいぶ丸くなっていて「一体、親父に何があったんだ…!?」と拍子抜けした記憶がありますね。

地域に根付いた飲食店の醍醐味は“家庭の成長”を見届けられること

黒田さんが2代目として跡を継いだのが23歳の時。それから30年以上が経ちましたが、寿司屋を取り巻く環境ってどのように変わったと感じていらっしゃいますか?

黒田さん:この店に戻ってきた頃はちょうどバブルだったので、土日になると出前の伝票がカウンターにズラッと並ぶほど。ただ、景気の落ち込みや低価格路線の回転ずし店の登場などにより客足が遠のいたこともありましたね。「とにかく店を開ける」という考え方でやってきた両親の落ち込みも大きく、私も妻と一緒に「これからどうしようか」とかなり悩みました。

平成の時代は本当に生活様式が多様化しましたもんね。

黒田さん:そこで目指したのが大衆の店。寿司を身近なものとして食べていただきたい、と割安なランチを設けるなど誰でも暖簾をくぐりやすいようにしました。先代から引き継いだシャリと大振りの寿司ネタはそのままに、リーズナブルな価格で勝負。おかげさまで、創業から半世紀以上が経った今でもお盆や正月、母の日・父の日といった特別な日にはたくさんの出前注文をいただいています。

※Instagramより
近年で言えば、新型コロナウイルスの世界的な流行もありました。

黒田さん:あの時期はたくさんの方から出前を注文していただいてなんとか乗り切ることができました。ウチは私たち夫婦と先代夫婦で営業しているのですが、改めて「身の丈にあった仕事をしよう」と感じたのもこの頃。大人数の宴会の時は出前を断ったり、出前が多く入っている時はイートインをごめんなさいしたり…。中途半端にやるよりもお客さんに満足してもらうことを大切にしていますね。

親子2代で約半世紀に渡って諫早市民に愛されてきた力寿司。地元で営業を続けてきて良かったなと思うことは何でしょうか。

黒田さん:地域の皆さんと長く付き合いがあるということでしょうか。2階の座敷でお宮参りや七五三のお祝いをしていただいたり、還暦の食事会を設けたり…。私が若い頃にご両親に連れられてきていた子が、立派な社会人になって今でも来店してくれる。本人だけじゃなく家庭の成長が丸ごと見られるのが地域に根付いた飲食店を経営する醍醐味なのかもしれませんね。

7年ほど前に行った店舗改装では「今のままが落ち着くけん、間取りは変えないで」というお客様の声を受けて壁紙やカウンター等を綺麗にするだけに留めたという黒田さん。しかし、2024年の夏には思い切って厨房のリニューアルを行いました。

「冷蔵庫とショーケースが創業から使っている絶滅危惧種のような機械で、いつ止まってもおかしくない状態だったんです。ただ、入れ替えるにはつけ台などカウンターの厨房側をごっそり変える必要があった。じゃあ自分たちが一番若い“今”がタイミングだろう、と改装に踏み切りました」

つけ台だった場所にはカウンターと同じ無節の一本檜をあしらい、新しいショーケースが鎮座。その中には新鮮な海の幸が出番を待つように整理整頓されています。黒田さんと先代が並んで仕事をする約2mのまな板も均等に削ってもらい綺麗にお色直し。諫早の街とともに時代を歩いてきた力寿司は、これからも大衆の味を届け続けます。

取材・執筆/Komori Daigo

INFORMATION
力寿司

長崎県諫早市東小路町12-16 ( Google MAP

営業時間:

昼11:30~14:00、夜17:30~22:00

TEL: 0957-22-1468