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暮しを楽しむの手帖
たこやきたこ助女の都口店#4 たこ焼きは人生そのもの。自分らしく生きてこれたからこそ、一代かぎりの最後の恩返しを

今年(2024年)創業41年を迎える長与町の「たこやきたこ助女の都口店」。店主の原口博明さんが副業として始めた移動販売がルーツのこの店は、“うっかり焼きすぎた失敗作を食べてみたら思いのほか美味しくて大繁盛してしまった”というドラマ顔負けのエピソードを持つ、たこ焼きの老舗名店です。

30代で独立した店主も今や70歳。しかし、熱い鉄板の前に立ち、華麗なピックさばきでたこ焼きを回転させていく姿はまさに職人。数年にわたり試行錯誤して生み出したレシピと長年培った熟練の技から生み出されるその味は、今でも多くのファンを魅了しています。

たこ焼き屋になってから人生の酸いも甘いも経験したよ、と笑う原口さん。読めばきっと食べたくなる。そんな“たこやきたこ助”のインタビュー最終回をどうぞ。

関西人に美味しいと言われたときは、努力と苦労が報われた気がした

長年、たこ焼き屋を営業する中で印象に残っている出来事を教えてください。

原口さん:開業してから数年は売れない時期が続いていて、買いに来るのは知り合いか近くに住んでいる人くらい。でも、生地やソースを改良し続けて今のたこ焼きができると口コミで評判がどんどん広がって。閑古鳥が鳴いていた店に、佐世保ナンバーや福岡ナンバーの車まで停まるんですから「人生わからんもんやなぁ」と思ったよね。

それだけ原口さんが作り上げたたこ焼きのインパクトが強かったということなんでしょうね。

原口さん:どんなお客さんでも「美味しい」と言ってもらえるのは嬉しい。そん中でもたこ焼き職人冥利に尽きたのが、本場・関西から来た人に食べてもらった時。「向こうの店よりもアンタが作る方が旨いなぁ」とほめられたときは、長年の苦労と努力が認められたような気持ちになったね。

開業したのは1983年。昭和、平成、令和という時代の移り変わりとともに、たこ焼き屋だから感じた変化みたいなものはありますか?

原口さん:そうやねぇ…。ああ、昔は冬の方がよく売れていましたよ。寒い中、あたたかいたこ焼きを頬張ってハフハフしながら食べるのが風物詩。でも、最近は家でも車でもエアコンが効いているからか、季節関係なく売れるようになった印象やね。

電化製品やら車やらITやら、ここ十数年でいろんなものが急激に発達しましたもんね。

原口さん:バブル景気も経験して、長崎でウマいたこ焼き屋と呼ばれるようになって…。そこそこ良い生活も送れたし、大好きな酒も趣味のバイクも充分楽しんだ。振り返ってみれば良か人生やったと思います。

一時期は浦上天主堂の近くに2号店(山里店)もオープンなさっていました。

原口さん:2号店は30年近く営業したとですけど、子どもたちが独り立ちしたこと、私が還暦を越えたこと、コロナが流行したことなど、いろんなタイミングが重なって「ここが潮時やな」と閉店するにしたとですよ。今こうして半分隠居しながら、この店でたこ焼きを作っとるのは生きる楽しみみたいなもの。定年がないのでやめようと思わない限り続けられるのが自営業の特権たいね。

では最後に、原口さんにとって「たこ焼き」とは?

原口さん:人生そのもの、やね。最近は「この店を誰かに継いでもらわんとや?」なんて言われるんですけど、私はきっぱり一代で終わりたいなと。なので体が動く限りは続けていきたいというのが一番の目標。もう70なので体調によっては臨時休業することもあるかもしれんけど、これからもマイペースにやっていきたかね。

原口さんに今の一番の楽しみを尋ねると、「孫の成長ば見ること。ちゃんと小遣いをやるためにも、しっかりこの店で働かんばっさね(笑)」という冗談めかした答えが。普段は職人気質な店主も、お孫さんの話をしている時は優しいおじいちゃんの表情に戻ります。

「すいませーん、たこ焼き2パックよかですか~」。インタビューが終わるのを見計らったかのように外から聞こえる注文の声。西の空があかね色に染まる中、一台、また一台と入れ替わるように駐車場へ車が入ってきます。

暑い日も、寒い日も、たこ焼きを焼き続けて40年。まだ食べたことがない方も懐かしい思い出がある方も、もちろん常連の皆さんも、たこ助のたこ焼きをぜひ。

取材・執筆/Komori Daigo

INFORMATION
たこやきたこ助女の都口店

長崎県西彼杵郡長与町高田郷600 ( Google MAP

営業時間:

10:00~21:00(月曜定休)

TEL: 095-843-9586