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新幹線が開通したJR長崎駅やサッカースタジアムを中心とした複合施設・長崎スタジアムシティなど、ここ数年で大きく様変わりした長崎市中心部。そこから車で北へ約20分。お隣・西彼杵郡長与町との市境に、半世紀近く変わらない美味しさを提供し続けているたこ焼き屋があります。
「たこやきたこ助女の都口店」。昭和58年(1983年)に車での移動販売店として開業し、3年後に店舗を構えてからは40年近くこの場所で営業を続けています。
そんな同店を切り盛りしているのは店主の原口博明さん。御年70歳になる原口さんが、なぜたこ焼き屋を始めようと思ったのか。インタビューを通じて地域の人々に愛されてきた老舗たこ焼き屋のルーツに迫ります。
原口さん:元々はパンメーカーの配送トラックドライバーをやってたんです。その仕事は朝早い代わりに昼2時には終わるもんですから、一緒に働いていた仲間と「副業としてたこ焼き屋をやってみようか」という話になったのがきっかけ。移動販売用の車を用意して、29歳で“たこやきたこ助”をスタートさせたとさね。
原口さん:でも、軽いノリで始めたけん、最初はあんまり売れなくて。1年経った頃には一緒にやっていた仲間も辞めてしまった。私自身、ドライバーの仕事もあったし、これからどうしようかと悩んどった時に、ある人の言葉が私の人生を大きく変えることになったんです。
原口さん:その人は職場に出入りしていた業者さんやったんやけど、本当に朝から晩まで汗水たらして働いとらす姿が印象的で。その一生懸命さに惹かれて少しずつ話をするようになりました。だいぶ打ち解けたころ、「なんでそがん頑張って働かすとですか」と聞いてみたんですよ。そしたら…
原口さん:「おいは人生の半分遊んできたけんね。その分、今、頑張りよっとたい」という答えが返ってきたんです。それまでチャランポランに生きてきた私にとって、その言葉はすごい衝撃。「このままじゃいけん、自分も本気でやらんば」と心に火が着き、会社に辞表を提出。本腰を入れてたこ焼き一本でいくことにしたんですよ。
原口さん:今のは私にとってのターニングポイントやったけど、もうひとつ、たこやきたこ助のターニングポイントもあっとですよ。
原口さん:専業のたこ焼き屋になって、しばらくは車で営業していたっちゃけど、なかなか売上があがらん日々が続きました。そんなある日、友人が買いに来てくれたんですけど、うっかり話し込んでしまって…。気づいたときにはすでに時遅し。鉄板の上には焼きすぎて表面が固くなってしまった失敗作が並んでいました。
原口さん:でも、その失敗作を友人が食わせろというわけですよ。しぶしぶソースを塗って渡したら、興奮気味に「お前、こい食べてみろ!」って。ウマかわけなか…と恐る恐る口に入れると、外はカリっと中はふわふわ。「これだ!」と思って研究を重ねていくうちにお客さんの評判がよくなり、売上もどんどんと上がっていったとさね。
原口さん:おかげさまで3年目にはこの場所で店舗をオープン。オリジナルのソースや自家製天かす、刺身用のゴロっとしたタコなど食材にもこだわっていたので、長崎市内近郊の同業の人たちがよく偵察に来ていましたよ。長く営業を続けてこられたのは、いろんな人の支えがあったから。あと何年やれるかわからんけど、これからも旨いたこ焼きを作り続けていきたいなと思います。
アラサーでたこ焼き屋に転身して約40年。季節や天気から1日で売れそうな個数を予想し、的確な量の食材を仕入れることができるのも、長年の経験と勘が生きているからだと原口さんは微笑みます。
「ゴールデンウィーク、お盆、年末年始は故郷の懐かしい味を食べたいと帰省した人からの予約が増えるので朝からフル回転。飛び込みで来たお客さんは30分待ちをお願いすることもあります。本当は私も休みたいんですけどね(笑)。楽しみにしてくれてる人がいるから正月は3日から営業、盆は15日だけ休みをもらってます」
原口さんがご高齢というとこともあり、体調によっては定休日(月曜)以外にも臨時休業することもあるという「たこやきたこ助女の都口店」。無理せず、マイペースに、変わらぬ味を。今日も長崎のたこ焼き職人は鉄板の前に向かいます。
取材・執筆/Komori Daigo
長崎県西彼杵郡長与町高田郷600 ( Google MAP )
営業時間:
10:00~21:00(月曜定休)
TEL: 095-843-9586