キーワード検索

閉じる

暮しを楽しむの手帖
旬の肴菜よね田#1 ラケットから包丁へ。全国大会に出場した卓球少年が料理の道に進んだ理由

長崎県の中央部に位置する諫早市。中心部には戦国時代の城跡を活用して造られた自然豊かな諫早公園があり、春には山腹のつつじを楽しむ花見客でにぎわうなど、市民の憩いの場として親しまれています。

そんな歴史公園の東側に広がっている下町風情溢れる商店街エリアの一角に佇んでいるのが「旬の肴菜よね田」。カウンター6席の小さな店舗ながら、うまい料理とお酒が楽しめるとファンの多い隠れ家的居酒屋です。

翠色の暖簾をくぐると笑顔で出迎えてくれるのが店主の米田尚弘さん。25年間、料理の腕をふるってきたという米田さんに“料理人を目指した理由”をお聞きしてみると、学生時代のユニークな体験を教えてくださいました。

「お前の豚汁うまい」。仲間の何気ない一言は自分の夢が決まるほど衝撃的だった

米田さんが料理の道に進もうと思ったきっかけはなんだったのでしょうか?

米田さん:高校時代の部活ですね。所属していた卓球部は全国大会常連の強豪校で、ほぼ毎週末合宿がありました。食事も1年生が作るという伝統があって・・・まぁ、豚汁とかカレーとか牛丼とか、いわゆる合宿メシなんですけど。私も料理なんてほとんどしてこなかったので、最初の頃は恐る恐る作っていましたね。

毎週合宿、しかも自分たちでご飯を作るなんて、なかなかない経験だと思います。

米田さん:私が初めて作ったのは豚汁だったのですが、みんなが「うまい、うまい」と食べてくれたんです。その一言がめちゃくちゃ嬉しかった。恥ずかしながら私は誰かに褒められる経験が少なかったので「おいしい料理を作りたい」という想いがどんどん強くなり。上級生になっても自分から料理当番に立候補していましたね。

部活を通じてラケットよりも包丁の方が面白くなっていった、と。

米田さん:その頃には夢=料理人でしたからね。まぁ、高校生なので「料理の修行をして諫早で同級生や部活の仲間が来てくれるような店を作りたい」「自分の居酒屋でいつか同窓会をしたい」みたいに漠然とした夢でしたが、進路ははっきりとそちらを向いていました。

高校卒業後は料理人を目指してどんな進路をとられたのでしょうか。

米田さん:本格的に調理を勉強するために、大阪にある調理専門学校に進学。その後、大阪の高級割烹で修行を積みました。板前は20人くらいいて、お客さんは社長や芸能人。独立意識の強い人たちが多い職場だったので、自然と切磋琢磨しながら腕を磨くことができました。

30代中頃に独立して地元に錦を飾っていらっしゃいますが、元々、諫早に戻ってこようと思われていたのでしょうか。

米田さん:そうですね。両親からもその約束で学費を出してもらったということもありますし、私自身が諫早で自分の店を持ちたいという夢がありました。修業先でお世話になったのは14、5年くらい。実は、何回か独立の打診をしたのですが、その度に「お前じゃまだ何もできん」と止められて仕込まれて・・・。ようやくOKが出たという感じでした。

最後に、生まれも育ちも諫早の米田さんが感じていらっしゃる地元のいいところを教えてください。

米田さん:そうだなぁ・・・。やっぱり「のんびり落ち着いてるところ」じゃないですかね。高校生の頃まではそれが当たり前で「何にもない田舎」というイメージだったのが、大阪で生活する中で諫早のゆっくりした時間の流れはすごく魅力的だと感じるようになりました。都会で暮らしたことで地元の良さを再認識できたことは自分にとって大きな財産になったと思います。

体育会系の部活でなぜか料理に目覚めた米田少年。実は、本業(?)の卓球でもレギュラーとして全国大会出場という輝かしい成績を残しており、ラケットと包丁の二刀流で3年間メンバーを支えてきました。

「独立した後にウチで同窓会を開催できた時は『本当に料理人になりたかったんやな』『サボりたくて料理当番しとると思っとったわ』なんて言われて。こっちもただ料理がしたかっただけばい、なんて笑い話になりましたね」

一杯の豚汁から始まった料理人人生。隠れ家的居酒屋「旬の肴菜よね田」で、米田さんの四半世紀の想いと匠の技が味わってみませんか?

取材・執筆/Komori Daigo

INFORMATION
旬の肴菜よね田

長崎県諫早市上町2-3 ( Google MAP

営業時間:

17:00~24:00(不定休)

TEL: 0957-35-8088