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九州の西端に位置し、造船業・水産業・観光業などが盛んな長崎市。古くから海外との貿易窓口を担ってきた歴史ある街が、「100年に1度の変革期」をキャッチフレーズに長崎駅周辺や市街地中心部で大規模な開発が行われ大きく生まれ変わろうとしています。
そんな長崎市中心部から車で約20分の郊外にある“東長崎エリア”。日見峠や八郎川、橘湾など豊かな自然に囲まれたベッドタウンにある「ミカマーレ」という小さなイタリアンレストランをご存知でしょうか。
オレンジ色の看板が印象的なお店のドアを開けると「いらっしゃいませ」と出迎えて下さったのはオーナーシェフの迎雅光さん。料理人として20年以上のキャリアを持つ迎さんが、イタリアンと出会い46歳で自分の店を持つまでの半生を紐解きながら、そのお人柄に迫ってみたいと思います。
迎さん:大学時代にアルバイトしたのがたまたまイタリアンだったんです。90年代後半ということもあり、めちゃくちゃ大きい200人規模のレストラン。最初は遊ぶ金欲しさで始めたバイトでしたが、経験を重ねるうちに洗い場からサラダの盛り付け係、ピザ係と任されるようになって料理を作る楽しさを感じるようになりました。
迎さん:そのレストランのオーナーとの出会いも大きかったですね。中卒で料理人の世界に入った叩き上げ。和食からイタリアンに移った経歴の持ち主で、料理に対してすごくストイックな方でした。その人がなぜか自分のことを気に入ってくれて、ノートを見せてくれたり、いろんな話をしてくれたり。普通の学生生活ではできない体験をさせてもらっていましたね。
迎さん:実は、大学では法学を勉強していたので料理人になるつもりはなかったんですよ(笑)。でも、当時は就職氷河期まっただ中。応募しても書類で落とされる、やっとの思いで面接に進んでも有名大学出身者との対応の違いに愕然とする。最後の方はやりたい仕事ではなく入れる会社はないか、と探しているような状況でした。
迎さん:前も見えない状況の中、やりたくもない仕事を定年までやるのかと考えるようになり、いつしか就職活動は0に。反対にバイトに明け暮れる日々を送っていました。それでもやってくる卒業というタイムリミット。料理は嫌いじゃないし、こっちに進んでもいいかなと思い始め、バイト先へ就職することにしたんです。
迎さん:最初は調理師専門学校で学んでからの方がいいかなと思ったんですが、バイト先の先輩方から「お前はここで3年間経験しとるから現場に入って叩き上げられた方がいい」って言われたんですよ。そうか、と思って就職したらもう本当に大変。今みたいに優しい時代じゃなかったので、かなり厳しい環境で鍛え上げてもらいました。
迎さん:働いた店に共通していたのは、こぢんまりとした小規模な店ということ。厨房に立つのはその店のオーナーシェフと私くらいだったので、先達の技術を間近で見ながら腕を磨きました。そうしている間にだんだんと「いつかは故郷に自分の店を持ちたい」と思うようになり、長崎の飲食業界のことを学ぼうと30歳で帰郷。長崎市内でも有名なイタリアンで働くことにしたんです。
迎さん:飲食店の経営に必要な食品衛生責任者になれますし、集団調理もできるようになるので調理師の資格をとることにしました。それまで働いてきた基礎もありましたし、何より改めて調理のことや食品衛生について勉強して正確な知識を身に付けるのは楽しかったですね。
迎さん:本当は40歳までに独立したかったんですけどね。前の店でもっと勉強したいと思ったり、結婚して子どもが生まれて守るものが増えたり…。新型コロナの影響で諦めかけたこともありました。それでも家族の後押しもあって実現できた自分の店。これから大切に育てて地域になくてはならないイタリアンにしていきたいと思います。
オープンから8ヶ月が経った今、リピーターも着実に増え東長崎エリアの人気店となったミカマーレ。先が見えないコロナ禍の中で、独立するかどうか3年に渡って悩み抜いたのも今となっては良い経験になりましたと迎さんは振り返ります。
「失敗したら借金だけが残って家族に迷惑をかけるかもしれない。かといって当時働いていた店もオーナーが辞めてしまえば自分ではどうしようもないし、50過ぎては転職の選択肢が狭くなる。そんな風に悩む私に『やりたかったらやらんね』と言ってくれた妻や子どもたちには感謝しています」
次回の記事では迎オーナーが20年越しに叶えたご自身の店「ミカマーレ」の魅力をたっぷりとお伝えします。ぜひ、そちらもチェックしてくださいね!
取材・執筆/Komori Daigo
長崎県長崎市矢上町32−13田川ビル 101号 ( Google MAP )
営業時間:
11:00~16:00、17:00~20:00(不定休)※P2台のみ
TEL: 095-894-5881