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暮しを楽しむの手帖
野中精肉店#1 諫早で愛されて半世紀。確かな品質のお肉を届けるお肉屋さん

諫早市幸町。閑静な住宅地の一角を車で進むと、牛のマークが描かれた印象的な看板が目に飛び込んできます。

夕方の駐車場には多くの車が留まり、店内には親子連れや主婦、学生、作業着の男性二人組など様々な年齢層のお客様でにぎわっています。

そのお肉屋さんの名前は「野中精肉店」。看板に描かれたsince1963の通り、諫早で半世紀以上の歴史を持つお肉屋さんです。

昭和・平成・令和と地域で愛されて続ける野中精肉店の歴史について、2代目として店舗を切り盛りしている代表・野中英二さんにお話を伺いました。

2代目の夢は音楽家だった!?今も続ける「肉屋」と「ドラマー」二足の草鞋

野中さんは1963年から続く諫早のお肉屋さんの2代目でいらっしゃるわけですが、子どものころの思い出は何かありますか?

野中さん:野中精肉店は私が母のおなかの中にいる時に諫早のアーケードで開業しました。なので、生まれたときからお肉屋さん。小さいころから食卓には和牛が並んでその美味しさを体感してきました。それから、よく遊んでいたのは同じ商店街の子どもたち。ちょうど高度経済成長の時期で大人はみんな忙しかったので、子どもで集まって遊んだり、ご飯を食べたりしていました。たまに、サラリーマン家庭の友人と遊ぶと、お父さんが夕方に帰ってきていてビックリした記憶がありますね。

生活と密接に関わっている家業を継ぐんだ、と決心したきっかけは何だったのでしょうか?

野中さん:物心ついたころから親に「あんたが継ぐとよ」と刷り込まれていたので、なんとなく継ぐんだろうなぁという意識はありました。ただ、成長するにつれて色んなことに興味を持つじゃないですか。私の場合はそれが“音楽”でした。小学4年生の頃に父のカーオーディオから流れるフランシス・レイのシャンソン風の楽曲に心を動かされ、だんだんと音楽家になりたいと思うようになりました。

肉屋とは全く違う夢をお持ちになっていたんですね。

野中さん:高校生の頃には例にもれずバンドを組んで活動。親には大反対されましたが「音楽でプロになるんだ!」と上京することも決めていました。しかし、上京する前日に母が倒れ断念。家業を継ぐ決心をしました。

上京するかどうかがターニングポイントだったわけですね。

野中さん:今となっては母の策略だったのかなと思うこともあります(笑)。でも、肉屋になるというのも夢の1つではありましたから、その想いを胸にスタートを切ったという感じですね。

ちなみに、今も音楽活動はしていらっしゃるんですか?

野中さん:もちろん、ずっと音楽は続けていますよ。今はQueenのトリビュートバンドでドラムを担当しています。つい先日も福岡のGates’7のロックフェスで演奏してきました。趣味ではありますが、音楽は生活の一部。音楽をやるために仕事をしているようなものですよ。

そういって少し照れたように笑う野中さん。夢をあきらめた当初は心のどこかで仕方なく働いていたところもありましたが、お客様の「あんたんとこのお肉はおいしかねぇ」という言葉をいただくうちに「美味しいお肉をたくさんに人に届けたい」という想いがどんどん大きくなっていったそうです。そんな想いと愛情が詰まった野中精肉店のお肉、ぜひぜひ味わってみてくださいね。

次回は食肉業界全体が苦境に立たされた2000年代を乗り越えたお話やアーケードから現在の場所へ移転した経緯などを伺っていきます。

※取材・執筆/komori daigo

INFORMATION
野中精肉店

長崎県諫早市幸町1-2 ( Google MAP

営業時間:

10:30〜19:00(定休日/毎週水曜、毎月第一月曜)

TEL: 0957-23-0808

URL:https://nonaka2929.thebase.in/

オンラインテイクアウト:https://nonaka2929.thebase.in/