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暮しを楽しむの手帖
平坂製薬#1 守り続ける伝統、時代に即した変化。その両輪で100年以上を走り続ける老舗製薬会社
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皆さん、「頭いたーい、歯いたーい、熱あーる」と聞いて何を思い浮かべますか?30代後半以上の方はあの独特なキャラクターが登場する医薬品「へデクパウダー」のCMを思い出されたのではないでしょうか。

そんなへデクパウダーを製造しているのが長崎県時津町にある平坂製薬株式会社。長崎市内での創業時から100年以上の歴史を持つ老舗製薬会社の歴史と理念について、顧問の平坂謙次さんにお話を伺っていきます。

顧問:平坂謙次さん 専務:平坂修平さん

今なお受け継がれる「0からの復興」を成し遂げた2代目の想い

創業から100年以上経っている平坂製薬。大切になさっている理念をお教えください

平坂顧問:平坂製薬の歴史は、創業者の平坂茂市が事業を興そうと明治後期にアメリカに渡ったことから始まります。大正に入り、帰国した1代目が苦労して作り上げたのが「へデクパウダー」。販売当初は全く売れなかったものの、大正時代にパンデミックを起こしたスペイン風邪に効き目を発したことで大評判になりました。

昭和初期 初荷
昭和初期 へデクパウダー
一代目のご苦労が報われた瞬間ですね。しかし、順調に業績を伸ばしていた矢先に、時代の大きな渦に飲み込まれてしまいます。

平坂顧問:はい。第二次世界大戦が起きて材料が手に入らなくなってしまったため、昭和15年に廃業しました。1代目にしてみれば断腸の思いだったでしょうね。

そんな平坂製薬が戦後に復興します。

平坂顧問:1代目の長女である米子が「へデクパウダーをもう一度世に出したい」と駆け回って資金を集め「平坂製薬株式会社」を設立。一代目の処方を0から復活させました。私たちの理念や社風というのは2代目から受け継いだものが大きいと思います。

昭和 戦後 へデクパウダー復活
2代目・米子さんは具体的にはどのようなお考えをお持ちだったのでしょうか。

平坂顧問:2代目は“男装の麗人”と呼ばれていて、「女性に働く場を」という想いが強かった。婦人会を立ち上げたり、戦争でご主人を失った女性の雇用を生み出したりと様々な活動を行ってきました。また、薬だけで地道にやってきた。おなじみのCMも2代目が宣伝活動に力を入れようと作ったものなんですよ。

工場で働く女性
昭和30年代 宣伝カー
戦後の混乱期、そして高度成長期の時代に「世の中のためになることを地道に続けていく」ということを大事にされていたんですね。

平坂顧問:3代目・晃子も姉である2代目の想いを受け継ぎ、薬一本で地道にやってきました。非常に厳しい方でしたが、従業員をとても大事にされていました。喜んでもらおうという意識がとても強い方で、一緒に花見に連れて行ったり、古い従業員の方には「よく楽しませてもらいました」という声も聞きましたね。時代が移り変わってもその時の従業員にとって居心地のいい会社でありたい、というのがひとつの理念・社風だと思います。

さまざまな苦難を乗り越え、時代の変化に対応しながらも信念を守り続けている平坂製薬。従業員の内7割以上が女性、そして従業員が在職期間も非常に長い、という事実が2代目・3代目から続く平坂イズムをしっかりと継承されていると感じました。

次回は長崎から現在の時津町への移転、健康食品、医薬品通販など直近の事業についてお話を伺っていきます。

※取材・執筆/komori daigo

INFORMATION
平坂製薬

長崎県西彼杵郡時津町久留里郷1439-52 ( Google MAP

TEL: 095-860-2861